わかりやすさの裏側

私は学生の時、アルバイトで塾講師をしていたことがあります。中学生に英語を教えていました。私は特段英語が得意科目というわけではなかったのですが、中学英語程度なら多少の予習で教えられるだろうと、高をくくっていました。

その日の授業で使う教材に一通り目を通しながら、どのように説明したらわかりやすい授業になるかと必死に考えます。

しかし先生であるはずの私の予習はただ単に教科書を先読みしてなぞっているだけで、生徒の予習と何ら変わらないものでした。

教科書の域を超えることはなく、それ以上の知識を持ち合わせずに授業に臨みます。わかりやすい説明どころか、中学生の質問にうろたえて、自分の応用力のなさにドキドキする毎日。

ついには限界を感じ、わずか半年ほどでアルバイトを辞めてしまいました。

ふとテレビを見ていて、ジャーナリストの池上彰さんの解説がわかりやすいのはなぜだろうと思いました。

じっくり観察しているとあることに気がつきました。池上さんの解説は、すべてを語っていないのです。知識にあふれているはずなのにすべてを語らない。豊富な知識の中から、伝えることと伝えないことを明確に取捨選択されているように感じました。

1の知識で1を伝えようとしていた私。100の知識から99を捨て、1を伝える池上さん。わかりやすさの差はここです。

インプットがアウトプットを遥かに上回っていることが、わかりやすさの裏側にあるのだと思います。

100の知識から99を捨て、1を伝える。