14年の負い目

東日本大震災から今日で14年が経ちました。また私が北海道に移り住んで14年が経とうとしています。

あの年、同じ3月に、被災地の上空を私は通過しました。東京から北海道へ移り住むために。

地震発生の日。私は東京で、卒業を間近に控えた大学生。地震発生の瞬間は大学キャンパス内で資格試験を受験しており、静まり返った教室での突然の揺れに、全員が一斉に外へ駆け出しグラウンドに避難したのでした。

通信は遮断され、公共交通機関は混乱し、自宅が遠かった私は帰宅難民となりました。大きな地震があったということしかわからず、今どこで何が起こっているか、何もわからない。

大学近くのカラオケ店で一夜を明かし、翌日の午後にようやく動いた電車に乗って自宅へ向かう途中、登戸駅のモニターに映し出された光景に足がすくみました。家が流されている。町全体が流されている!

楽しみにしていた卒業式は中止になりました。さよならを言わずに皆それぞれの道へ旅だちました。

飛行機の窓からは綺麗な景色だけを探して、被災地の上空では心を背けてしまいました。日常生活すら続けられない人々の上を飛び越えて、自分だけが希望を持って人生を前に進めていくことへの負い目。

普通に、予定通りに、夢に向かって生きることが負い目に感じた日。私は北の大地に立ちました。

あれから14年の節目の今日は、地震発生の時間に合わせて各地で黙祷を捧げる人々がテレビに映し出されていました。

またあの日のように、つい無意識に目を背けそうになります。

テレビやインターネットでニュースを見ていると、情報がどんどん右から左に流れていきます。昨日の大きなニュース報道は、今日には他の報道に変わり、明日にはまた、異なる見出しが打たれるでしょう。

メディア報道は視聴者の関心が一番ピークの時だけを取り上げ、過ぎ去ったニュースをフォローしてくれない。めまぐるしく流れていく情報の中で、当事者だけが取り残されているように感じます。

だから私たちは立ち止まり、あの日に感じた負い目を思い出す必要があります。そしてこれからも感じ続けなければならない。

加えて、この国が経験した教訓を自分事と捉えて、明日の非常事態に備える必要があります。

それは14年前の震災だけではなく、すべての知り得たニュース報道の教訓に対して、取り残された当事者に思いを馳せて、感度を持って対応していくこと。

14年目の負い目から、そのようなことを考えた一日となりました。

過去の負い目から目を背けずに、教訓を自分事として明日に活かす。